翻訳と辞書
Words near each other
・ 僕の胸でおやすみ
・ 僕の腕の中で
・ 僕の血を吸わないで
・ 僕の行方
・ 僕の見た秩序
・ 僕の見た秩序。
・ 僕の見ている風景
・ 僕の言葉ではない これは僕達の言葉
・ 僕の話
・ 僕の贈りもの
僕の贈りもの (アルバム)
・ 僕の贈りもの (曲)
・ 僕の部屋へおいでよ
・ 僕の音楽
・ 僕はMusic
・ 僕はいつもギター少年
・ 僕はお父さんを訴えます
・ 僕はきっと旅に出る
・ 僕はここにいます。〜槇原敬之一番はじめのライヴ〜
・ 僕はここにいる


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

僕の贈りもの (アルバム) : ウィキペディア日本語版
僕の贈りもの (アルバム)[おふ こーす1 ぼくのおくりもの]

オフ・コース1 ⁄ 僕の贈りもの』(オフ・コース1 ぼくのおくりもの)は、1973年6月5日に発売されたオフコース(当時の表記はオフ・コース)通算1作目のオリジナルアルバム
== 解説 ==
オフコースが小田和正鈴木康博の2人組となって約1年後の1972年夏、デビュー・アルバム制作のプランが持ち上がり、それぞれに書き溜めたオリジナル曲を持ち寄ってレコーディングが行われた。全曲が小田・鈴木のオリジナル曲で構成され、デビュー以降それまでにリリースされた3枚のシングルは、他人の作品だからとの理由により収録されなかった〔「群衆の中で1970年4月5日発売 EXPRESS ⁄ 東芝音楽工業 EP:EP-1224〕〔「夜明けを告げに1971年10月5日発売 EXPRESS ⁄ 東芝音楽工業 EP:ETP-2527〕〔「おさらば1972年4月25日発売 EXPRESS ⁄ 東芝音楽工業 EP:ETP-2647〕。プロデュースは当時アリスを手がけていた橋場正敏が担当したが、メンバーとの関係はあまり良好ではなかったという〔後に小田が自身の著書『TIME CAN'T WAIT』(1990年12月25日初版 朝日新聞社)での“タンバリン”という章で触れている。〕。
レコーディング・メンバーは小田・鈴木の他に矢沢透ドラムス)、重実博(ベース)。この2人は、杉田二郎がジローズで活動していた頃バックを務めたことがあり、その頃からオフコースとも親しくなっていた。基本の音はすべてこの4人で録音された。重実によれば「ともかく時間がかかった。オフコースは2人とも、まぁうまい人たちだったけど、今よりずっと下手だったんだ。センスなんかも良いんだけど、今に比べるとやっぱり下手だった。で、キンちゃん(矢沢)も僕もテクニシャンじゃないし、いわば4人とも下手だったわけ。だから録音の時、曲の最後まで辿り着くのがやっとみたいな。4人のうち3人がうまくいっても誰かひとりが間違えたり」「楽器を重ねた数はそれほど多くなくて、コーラスがダビングの中では比重を占めてたね。当時、コーラスが多重っていうのは日本で画期的だったと思う。マルチ・レコーディングが始まったばかりで録音技術自体、未熟な頃だもの。だから例えば音質を決めるのに、最初はただ録っておいて、ミックス・ダウンの段階で決めればいいみたいに考えていたわけ。本当は、最初に良い音で録っておかないと、後ではそれ程変えられないんだよね。……でも本当に、必死になってなんとか良いものをつくろうって、根性の結集みたいな迫力はあった。制作期間は……二か月位やってたかなぁ? 当時のアルバム制作としては、時間をとっていたほうだと思う。もっとも歌謡曲に比べればだけど。僕のギャラが全部で5万円位でした」〔オフコース・ファミリー著『はじめの一歩 1』(サンリオ)P147~151、1983年8月15日初版発行〕と、後に当時のレコーディングの模様をこう語っていた。
レコーディングは、他のスケジュールの合間を縫って進められ、約1か月半で終了した。収録された11曲中、3曲だけが新たに作ったもので、その他はステージで歌い続けてきた曲だった。
A-1「僕の贈りもの」は、シングルとは別ミックスで〔「僕の贈りもの1973年2月20日発売 EXPRESS ⁄ 東芝音楽工業 EP:ETP-2809〕、エンディングも20秒ほど短い。
A-4「水曜日の午後」はライブでは鈴木がリードボーカルを取っていた。小田が持ち寄ったこの歌を聞いた鈴木が「いい歌だね」と言うと小田が「だったら、ヤスが歌ってみるか?」と持ちかけ、実現したという。しかし、レコーディングでは「作者が歌ったほうがいい」というディレクターの意向で小田がリード・ボーカルをとっている。根本要が「オフコースの曲の中でいちばん好き」とコメントしており、1996年、阿蘇で行われたスターダスト・レビューとのジョイントコンサートで小田自身「まさかまたこの歌を歌うとは思わなかった」と言いながら披露した。小田が交通事故からの復帰後初のスターダスト・レビューとのジョイントコンサートでも歌っている〔1998年9月12日、福岡市海の中道海浜公園〕。
B-5「さわやかな朝をむかえるために」は小田の作詞・作曲だが、リード・ボーカルは鈴木がとっている。この他A-2「よみがえるひととき」を小田、A-6「でももう花はいらない」とB-4「静かな昼下がり」を鈴木がそれぞれリード・ボーカルを手がけているが、それ以外の曲は小田と鈴木のデュエット。後に、何故「さわやかな朝をむかえるために」のボーカルを担当する事になったか、とのファンから寄せられた質問に対し、鈴木は自身の公式ホームページで「ボクが歌っていたことさえ忘れていました。思い出せません」「はぁ、ボクが歌っていたことすら忘れていました。そうだったでしたっけ?」と答えている。
A-1「僕の贈りもの」とA-4「水曜日の午後」、A-6「でももう花はいらない」は後にベスト・アルバムSELECTION 1973-78』〔『SELECTION 1973-781978年5月5日発売 EXPRESS ⁄ TOSHIBA EMI LP:ETP-80015〕に収録された。
ジャケットは横浜市の根岸森林公園で撮影された。2人の前にある白いピアノはジャケット撮影用に作った模型。
この頃、小田は東北大学工学部建築学科を卒業してから1年後、オフコースの活動と並行して早稲田大学大学院理工学研究科に進学、建築と音楽のどちらをとるかの答えをまだ出せずにいた。一方、鈴木は東京工業大学工学部制御工学科を卒業後、内定していた安川電機への就職を辞退してミュージシャンとしての活動へ踏み出していた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「僕の贈りもの (アルバム)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.